ユートピアのディスクールII――監獄・労働・性的建築

1.クロード=ニコラ・ルドゥと「ショーの理想都市」
ルドゥ(1736-1806):フランス革命期前後(啓蒙時代/新古典主義時代)に活躍した建築家。革命前は「国王の建築家(Architecte du Roi)」として、主に実用的公共建築(パリの徴税市門【図】やアルケ=スナンの王立製塩所【図】、ブザンソンの劇場)、貴族階級の私邸(デュ・バリー夫人邸など)を手掛けた。フランス革命で投獄され、職を失う。以前より構想していた理想的建築を展開した書物『芸術・慣習・法制との関係の下に考察された建築』の執筆を行う(6巻本予定だったが、ルドゥの死により1巻で終了)。この書に収められた建築図版(ほとんどは実現されず、「紙上建築」と呼ばれる)の奇妙さで知られ、同時代のエティエンヌ=ルイ・ブレ(1728-1799)【図】やジャン=ジャック・ルクー(1757–1826)【図】と併せて「幻視の建築家」と呼ばれる。

1.1.ショーの理想都市
【図】ルドゥ(フランス革命期前後の建築家)による「ショーの理想都市」
・製塩産業を基盤とした労働者の共同体(後のシャルル・フーリエの発想と共通点が多い)
アルケ=スナン(フランシュ=コンテ地方)に実現された王立製塩所をモデルとする。

1.2.ナラティヴにみる「ユートピア旅行記」との近似
【引用】ヴィドラー(アメリカの建築史家)の指摘
旅行記や東方見聞記、ユートピア文学の乱読者であったルドゥは、自身の建築イメージの悪漢小説のごとき連なりに、文学的な「語り(récit)」という地位を与えようとした。それはあたかも、モニュメントとモニュメント、彼自身による創案とアベ・バルテルミーによる空想の旅行記『若きアナカルシスのギリシア紀行』中で見出される古代ギリシア建築とを、調和させようとしたかのようである。
(Vidler, Claude-Nicolas Ledoux : architecture and social reform at the end of the Ancien Régime, Cambridge : MIT press, 1990, p.342.)

1.3.「性愛」の規律
【図】青年のための性的イニシエーション施設「オイケマ」(1790年頃構想)
ルドゥは快楽と放蕩のための建築案を構想しつつも、性における「美徳」を信頼。
【図】パリ市のために1787年頃に計画した「快楽の館」
【引用】『建築論』序文の「オイケマ」の役割
仔細に見るならば、悪徳もまた同様に魂に強く影響を及ぼす。悪徳が刻印する恐怖によって、悪徳は魂を美徳へと向かわせるのだ。オイケマは、激情的で気紛れな若者たちに、自身が性的倒錯を赤裸裸に呼び寄せることを示すだろう。人間の堕落への自覚は、眠りこけた美徳を覚醒させるものであり、人間を高徳な結婚の神ヒュメーンの祭壇へと導くであろう。そこでヒュメーンは人間に抱擁を与え、その頭に王冠を戴かせるであろう。建物の暗く深い洞窟の下にある堕落の作業場(アトリエ) は、道徳の力強さを劣化させ、その王座を蝕み、その帝国を転覆させてしまう汚染された源泉を、人間の前に曝け出す。このような暴露は必ずや、習俗を頽廃させる全てのものへの憎悪をもたらすであろう。
(Claude-Nicolas Ledoux, L’architecture considérée sous le rapport de l’art, des mœurs et de la législation, Paris: chez l’auteur, 1804, tome I, p. 2. 引用者による訳)

 →「美徳」や「善」の体現としてのオイケマ。ギリシアの結婚の神ヒュメーン、そして彼が体現する結婚――モラルや社会制度に回収され、無毒化された男女の結合――を讃える。

【引用】 
結婚の神ヒュメーン、この高潔な結婚の神が、その権利を取り戻す。懲らしめの窓ガラスは粉砕され、独房が転覆させられ、歩廊からは群集を苛むすべてが取り除かれる。建築物の正面(frontispice)のフリーズには、次の文字が刻まれる。「美徳を永遠のものとするために、ここに移ろいやすい優美を据える」
(Ledoux, op. cit., I, p. 203. )

そのあからさまな支配領域において、淫蕩が配下どもと遥か遠方のコロマンデル海岸についての伽話を語り、結婚の神を微睡へ、次いで心地よい目覚めへと導くならば、共用の聖所[引用者註:オイケマ]に取り集めた儀式を、秘儀祭司たちに委ねることができるだろう。快楽はここに集まり、冷徹な理性を屈服させようと、その周囲で舞い踊る。
(Ledoux, I, p. 201. )

→青年たちを一時的な性的放蕩に向かわせることで、最終的には美徳に彩られた結婚へと導くための、性的な訓育の施設。『建築論』「オイケマ」の直後に、「教育の館」の計画案が置かれる。性的放蕩と、「教育(éducation)」との併置には、サドとの――ひいては、学校や修道院という教育のための空間と性的な陶冶の場とを結びつける、17世紀以来の性愛文学の伝統 との――通底性を見てとることもできる。しかしルドゥには、ラディカルに啓蒙主義的な理性やモラルに反抗するサドのような蛮勇はない。
(1655年に匿名で刊行された『娘たちの学校(L’école des filles)』は、フランス語で書かれた最初の性愛指南書とされる(ミュッシャンブレ、上掲書、112ページ)。この指南書という形式は、17世紀以降に普及した礼儀作法(コンヴナンス)手引書の、一種のパロディでもあるだろう。「教育」というテーマがエロティックな暗示を含む性愛文学は、これ以降盛んに刊行される。c.f. コンドルセらによる公教育論の提唱とその制度化;コンドルセ他『フランス革命期の公教育論』坂上孝編訳、岩波文庫、2002年。)

・啓蒙主義時代=性愛文学が最大の隆盛を迎えた世紀(ロベール・ミュッシャンブレ『オルガスムの歴史』山本規雄訳、作品社、2006年、174−184ページ)。
・アンシャン・レジーム下における「性愛」:キリスト教体系や身分制秩序(そしてこれを支える道徳や礼儀作法)の転覆という危険性を孕む。「リベルタン」文学(今日でいうポルノグラフィー)/リベルティナージュ(性的放蕩)=本来「自由思想者」(キリスト教不信仰者)
・オイケマ:性愛のための学校、男性独身者による「結社」の系譜(独身の男性若年層によって構成される結社組織は、建前としてキリスト教道徳に基づく禁欲を年長の男性集団から課される一方で、性的欲望をときに暴力的な手段で解放させることもあった(ミュッシャンブレ、上掲書、36-39ページ)。)
ルドゥ:肉体の情熱に従い一時的な放蕩に耽ることで、人間はむしろ悪徳を恐れ憎むようになる→「自然の声」に従った肉体の解放が、サド的なリベルティナージュではなく、美徳と道徳への回帰をもたらす。「結婚」に固い法的保護を与える民法体系を編み出したナポレオン・ボナパルトに近い。

1.4.共同生活の場「セノビー」
静かな森の中、16世帯の家族が共同生活を営む。田畑や牧草地、葡萄園と圧搾場、集会場、食堂などを備えた、自給自足の共同体。家長による統率、良心と美徳、信仰心(造物主への)に基づく秩序維持(悪の観念無き人々=性善説)。家族の絆(pacte)の維持。←新しい考えをもつ経済学者の登場により、新しい社会体制がもたらされ、「幸福が逃去る」。
・フーリエの発想との共通点が指摘されている(ビーチャーら)
・ルドゥ(の時代)にとっての「共同体」とは?

2.サドと「城塞=牢獄」
マルキ・ド・サド(ドナスィアン=アルフォンス=フランソワ・ド・サド:1740-1814):フランスの貴族階級に生まれるが、性的逸脱により投獄や精神病院への強制入院を繰り返す。獄中で数多くのリベルタン文学を記述。これらの作品は、サドなりの社会改革プログラムとしての性質も持つ。

2.1.サドと性的建築
【図】サド(18世紀末の作家)による「性的放蕩のための館」構想(デッサン)
サド:ポリガミーの推奨。婚姻や家族制度は自由の束縛、女の性は万人の共有財産と見なす。(性という資源の、一種の共産主義?)
→パリに閨房を計画。三段階のスケッチが残る。
性的情念の解放の場としての建築空間を志向。人間の性的情念は「自然の声*」に基づき、自由に解放される必要がある。その抑圧は、ときには国家転覆をも惹起するような、危険な力を生みだしてしまう。したがって、「性」は適切に管理され、無害化されなければならない。→サドの礼讃するリベルタンの放蕩とは、制度の完全な外部にあるような逸脱ではなく、むしろその内部で馴致されるべきもの。
*サドもまた、「自然」な状態への回帰を説く。しかしサドの想定する「自然」は、ルソー的な「自然」に真っ向から抗うものである。彼は剥き出しの残虐さや暴力性、そして淫蕩こそが本来の「自然」の姿であり、それを法律や宗教、道徳で規制することに反対した。このような立場が表明されているのは、例えば『閨房哲学』澁澤龍彦訳、河出文庫、1922年、165−166ページ(宗教的道徳や法律による規律は自然法則に反する)、同176−177ページ(自然の声=淫蕩への欲求を解放すべきこと);『食人国旅行記』澁澤龍彦訳、河出文庫、1987年、73ページ(自然の法則は腐敗・悪徳にある);『新ジュスティーヌ』澁澤龍彦訳、河出文庫、1987年、44ページ(破壊運動は自然法則に適う)および202ページ(ルソーへの反駁と弱肉強食の肯定)。また、サドの「自然」観を端的に解説したものとして、秋吉良人『サド―−切断と衝突の哲学』白水社、2007年。

【引用】
われわれの義務は、この快楽に秩序を与え、自然の要求から淫蕩的な対象物に近づいていく市民たちをして、何物によっても束縛を受けることなく、情欲の命ずるがままに心ゆくばかり、この対象と楽しみを分かち合うことができるようにしてやることでなければならない。[…]そこで、綺麗な家具つきの、どこからみても安全な、広くて衛生的な建物が、方々の町々に建てられる必要がある。そこでは、あらゆる年齢の、あらゆる性的傾向を具えた男女が、遊びにやってくる道楽者の気まぐれに応ずるべく控えている。
(マルキ・ド・サド『閨房哲学』澁澤龍彦訳、河出文庫、1992年、176−177ページ。原著:D.A.F. Marquis de Sade, « La philosophie dans le boudoir »(1795), dans Sade Œuvres III, Paris : Gallimard, 1998, pp. 130-131.)

 →単なる倒錯的なポルノグラフィーではなく、性的な情念に基盤を置いた社会変革と、その容器に相応しい理想的建築を目指す。
・サドは性交による妊娠(妊娠を目的とする性交)を否定。「性行為」にtravail(労働)の語を用いる→当時の「労働」をめぐる社会思想のパロディ?
 →啓蒙主義の標榜する諸価値を、その暗黒面から逆照射

2.2.ユートピア的社会構想
・「フランス人よ!共和国主義者たらんとせばいま一息だ」(『閨房哲学』):
サドによる宗教観や社会観、改革プログラムを情熱的な長文として展開(登場人物の一人ドルマンセが「平等館」で購入したパンフレットを、ミルヴェル騎士が朗読する体裁)。後に1848年の二月革命でマニフェストとして引用された。神への信仰を否定し、「自然の声」の賞賛と性的情欲の解放を説く(性を通した社会改革)。放蕩を標榜しつつも、「性」や「情念」を権力や制度により管理・統制するという側面ももつ。女性の情欲も肯定。
・サドにとっての自然=創造とともに破壊をも行うものであり、自然状態とは残酷で暴力的なものである。サドは、このような破壊的であり暴力的な自然に「還る」ことを、(おそらくはルソーの言に倣って)説いている。(ルソーのパロディ?)
・『食人国旅行記』:漂流先の「未開」の島の政体が、西欧にとっての理想として描かれる
・啓蒙思想家たちが光の当たる「理性」や「自然」を信じたのに対し、同じようなプログラムを「情念」や「性愛」や「涜神」の方角に向けたのがサド。

2.3.「城塞=牢獄」へのナラティヴ
・サド『ソドム百二十日』:隔絶された場所に存在する一種のユートピア、そして「語り(ナラティヴ)」が暗示する視点と身体の移動=『ユートピア』や『太陽の都』、『ガリヴァー旅行記』、『ロビンソン・クルーソー』などの系譜。
形状:幾重もの自然の障壁(登攀は困難を極める高い山、大地の亀裂、垂直の岩壁)、さらに外壁と深い堀に囲まれた、人里離れた城館(閉鎖空間)が舞台となる。
・語り:全景を見渡す視点に立つ、第三者による語り。物語の舞台であるデュルセの城館に至るまでの臨場感ある風景描写は、旅行記とも通底。

【引用】サド『ソドム百二十日』の描写
ひとたびこの城門が閉まると、シリング城と呼ばれたデュルセの城館に足を踏み入れることがいかに困難となるかは、以下の描写によって如実にごろうじあられたい。炭焼き部落を過ぎると、まずサン・ベルナール峰と同じくらい高い山をよじ登らなければならない。[…]こうしてたっぷり5分かかって、ようやく山頂に達すると、またしても新たな奇観が目の前にあらわれる。
(マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』澁澤龍彦訳、河出文庫、1991年、69-70ページ。)


【引用】ベアトリス・ディディエによる『ソドム百二十日』分析
サドは作中の人物をかならず長い道のりをたどらせてから、城のなかに入らせる。そして読者はいつもまずはるか遠くから威圧的で恐ろしい城の全体像を見せられ、その後で迷路のようにいりくんだ城内を案内される。
(ベアトリス・ディディエ「内部の城」山辺雅彦訳、『現代思想』vol. 6, no. 2, 1978, 80ページ。[Béatrice Didier, Sade, essai, Paris : Denoël/Gontier, 1976]。)

…次々に出現する城壁の描写がくる。[…]城はそのなかに広大な空間をかかえこんでいる。しかしこの空間はサドにおいては本質的に垂直であって、しかも下降する空間である。[…]作中の人物は塔にのぼるより、地下室に下りる方がはるかに多い。[…]作中の人物、それに読者がいったん城の中に入ると、恐るべき深淵が口を開けているばかりだ。深いからこそ地下の牢獄まで下りて行けるのはもちろんであるが、同時に死のイメージに下降して行くことにもなる。城は墓なのだ。
(同上、81ページ。)


【図】アンソニー・ヴィドラー作成「シリングの城館に向かう道のりのダイアグラム」
(Anthony Vidler, The Writing of the Walls : Architectural Theory in the Late Enlightenment, Princeton: Princeton Architectural Press, 1987, n.p.)
・サドにおける主体の孤立性←→ルドゥのコミューン性、旅の随行者
・建築空間と眼差しの構造:
【図】サド『ソドム百二十日』の劇場的空間=【図】ルドゥ、王立製塩所《監督官の家》のパノプティコン機能
・隔絶された内奥へと進み地下へと降下:サド=墓、犠牲者の死へと向かう旅←→ルドゥ=イニシエーション、再生。
【映像】ピエル・パオロ・パゾリーニ 『ソドムの市』1975年:サドによる空間のパゾリーニによる新解釈。モダンでフラットな邸館内の空間。

3.フーリエとファランジュ
シャルル・フーリエ(1772-1837):ブザンソンの富裕商家に生まれる。移住先のリヨンで1793年にリヨン包囲に巻き込まれ、投獄。財産を失う。産業革命の進むヨーロッパで、理想的な共同体、社会制度、産業のあり方を模索。代表的著作に『四運動の理論』(1808年)、死後150年経って刊行された『愛の新世界』(1967年)。「情念引力の理論」に立脚した農業アソシアシオン「ファランジュ」の建設を目指すが、資金的理由などから実現せず。後世からは「空想的社会主義者」と呼ばれる。

3.1.都市と田園の企画者(プロジェクター)
・10代の頃、鉄軌道上を走る蒸気機関車の企画書をつくる(自称)
→都市計画・建築・物資補給・商業改革・地政学など広範な論題を扱う企画を考案
・リヨンという都市の環境が影響?(ジュール・ミシュレによる指摘)
・18世紀後半のフランスにおける「共同体(association)」概念:所有や労働を協同的に行う自給自足的共同体(アソシアシオン)の提唱。フランシュ・コンテ地方にもチーズ製造のための共同組織フリュイティエールが発達。

3.2.理想的共同体「ファランジュ」
・「ファランジュ」は必ず田園にある。小高い丘の上にあり、水が豊富で、土壌や気候は耕作に適している場所。かつ首都もしくは大都市から一日以内に到着できる距離(観光客からの見物料を収入源として期待)。
・ファランステール【図】:ファランジュの中央に置かれた建築物。巨大かつ列柱や柱廊やドームで装飾された豪華なもの。1200メートルのファサードの左右に長大な翼部。両翼の間の中庭は広大なパレード場。
両翼のどちらかに隊商宿(旅行者の宿泊施設)、郵便仕訳室、伝書犬や駅馬のための厩舎(外部との通交・郵便のための施設)。反対側の翼に作業場、音楽室、子供のための遊戯場。中央部には食堂、取引所、集会室、図書館、研究室、住民用の寝室・個室。中央部上階に神殿、塔、儀式用の鐘、伝書鳩の小屋。
・建築構想家としてのフーリエ:新しい社会秩序は新しい建築を必要とする(≒建築はどのときどきの社会秩序に適合的なものでなくてはならない)。共同体構成員間の紐帯を増大させるような建築物を目指す(家族単位の住居としない)
→系列宮(séristère)、回廊式通路(rue-galerie)←ルーヴル宮のグランド・ギャルリやパサージュの影響?
・数字的規則性へのこだわり(=ルドゥと共通?):考案した「情念系列」が、幾何数列の配置と類比的であり、その性質をすべて備えている、とする。

3.3.「性愛」の解放
・性愛:『愛の新世界』(執筆から約150年後の1967年公刊、シモーヌ・ドゥヴー=オレスキエヴィッチ校訂)→本能の解放を肯定
c.f.従来の「ユートピア」構想:性愛とは厳格な倫理の下に厳密に管理されるべきもの。結婚・再生産と直結した性愛のみを肯定。
c.f. トマス・モア『ユートピア』:結婚前の男女の身体検査、婚外交渉の禁止
  カンパネッラ『太陽の都』:同性愛や女性の装飾の禁止、性交の規律化、優性思想
  メルシエ『二四四〇年』:一夫一妻制の提唱、女性の役割を出産・育児に限定
←→南洋諸島(esp.タヒチ)の性風俗を描く旅行記やフィクションの流行
c.f. ディドロ『ブーガンヴィル航海記補遺』:ポリガミーや近親相姦をも肯定する「タヒチ人の慣習」を賞賛
  レティフ・ド・ラ・ブルトンヌ:暴力的かつ圧倒的な力としての性愛
  サド:アンチヒューマニズムの暴力性・嗜虐性(啓蒙主義思想を逆照射)
・フーリエは恋愛を社会的連帯の原動力になると捉える。性的な諸制約からの解放を目指す。セクシュアリティの多様性の認識と肯定、女性の解放、性の「最低保障」。性的志向を服につけた記章で表す。「恋愛法廷」(裁判長は性愛に精通した年配の女性)と「恋愛法典」。「調和の狂宴」=共同体の公的にオーガナイズされた行事……社会制度の一環としての「性愛」。既存の社会的制度・慣習のパロディ?
透明で開放的な性的関係=排他的で個人的な恋愛関係を排除
・『愛の新世界』の舞台:古代ギリシアのクニドス植民地(小アジア)=西欧の外部に置かれる

c.f. フリードリヒ・エンゲルスのユートピア(空想的社会主義)批判:『空想より科学へ』
【引用】
すなわち、16世紀及び17世紀には理想的社会状態の空想的(ユートピア)描写があり、18世紀にはすでに直接共産主義的な理論(モレリーとマブリー)が現れた。平等の要求は、ここではもはや政治上の権利だけに限られず、個人の社会的地位にまで拡げられねばならなかった、廃止さるべきものはたんに階級的特権だけではなく、階級的差別そのものであった。こうして、禁欲的な、一切の人生の快楽を否認する、スパルタ的共産主義がこの新しい学説の最初の表現形態であった。ついで三人の偉大な空想家があらわれた。第一はサン・シモン、この人にあってはプロレタリア的傾向と並んでブルジョア的傾向がある程度の重要さをもっていた。次にフーリエ、第三にオーウェン、この人は、資本主義的生産の最も発展した国で、資本主義的生産によって生みだされた諸対立の影響のもとに、階級的差別廃止案をフランスの唯物論に直接結びつけて系統的に説明した。
〔彼らが空想的であったのは社会的基盤がなかったからだ〕この三人には共通な点があった。それは、当時歴史的に生み出されていたプロレタリア階級の利害の代表者として登場したのではないということであった。啓蒙主義者と同様に、彼らは、まずある特定の階級を解放しようとはしないで、いきなり全人類を解放しようとした。
(エンゲルス『空想より科学へ――社会主義の発展』大内兵衛訳、岩波文庫、1946年(第1刷)、34-35ページ。)

〔社会的地盤のない理性は実現しない。〕[略]そこで、問題は、何よりも新しいより完全な社会制度を発見すること、それを宣伝し、またもしできるなら模範的実験の実例をつくって、外から社会に押しつけることであった。このようにしてこれらの新社会理論が空想的であったのはさしあたりしかたのないことで、かれらがその細目を描けば描くほど、それはますます純然たる幻想となった。
(同上、38-39ページ。)


※ユートピア小説の系譜
ルネサンス期
・トンマーゾ・カンパネッラ『太陽の都』1602年
・トマス・モア『ユートピア』1516年
18世紀(フランス):ユートピアの表現形式の多様化
・ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』1719年
・ジョナサン・スィフト『ガリヴァー旅行記』1726/35年
・モンテスキュー『ペルシア人への手紙』
・ヴォルテール『カンディード』1759年
  →ユートピアが挿話として作中に挿入される
・ルイ=セバスティアン・メルシエ『二四四〇年』
  →一種のSF小説、未来が舞台に
・モレリ『自然の法典』
  →ユートピア体制を法規の形式を採って表現
・レティフ・ド・ラ・ブルトンヌ『ポルノグラフ』
・ル・メルシエ・ド・ラ・リヴィエール『幸福な国民またはフェリシー人の政体』
 →架空の理想的国民の政治体制について(フランス国民へ)
・ルドゥ『芸術・習俗・法制との関係の下に考察された建築』1804年
 →タイトルはベンサムの論考に倣う

【参考文献】(脚注に表記したもの以外)
・ジョナサン・ビーチャー[Beecher]『シャルル・フーリエ伝――幻視者とその世界』福島知己訳、作品社、2001年。
・石井洋二郎『科学から空想へ――よみがえるフーリエ』藤原書店、2009年。
・ジル・ラブージュ[Lapouge]『ユートピアと文明』中村弓子・巌谷国士・長谷泰訳、紀伊國屋書店、1988年。
・ジュール・ミシュレ[Michelet]『フランス革命史』上下、桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳、中公文庫、2006年。
[発展的学習のために]
・フレドリック・ジェイムソン[Jameson]『未来の考古学I ユートピアという名の欲望』秦邦生訳、作品社、2011年。
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