クロード・ランズマン『ショアー』/ゴダール『映画史』概説(10月12日)

1.クロード・ランズマン(Claude Lanzmann, 1925-存命):東欧ユダヤ系フランス人(父方はベラルーシ、母方はモルドヴァ出身のユダヤ系移民)のジャーナリスト、ドキュメンタリー作家。1943年以降レジスタンスに参加。1950年代からサルトルらが創刊した『レ・タン・モデルヌ』誌に参画(86年以降ディレクター)。『ショアー』(1985年)の他の作品に『Tsahal(イスラエル国防軍)』(1994年)、『Sobibór, 14 octobre 1943』(2001年)など。

1.1.『ショアー(Shoah)』1985年公開(1974-85年にかけて制作)
・ホロコーストに関わった人々(生還者、元ナチス党員、目撃者)のインタビューから構成されるドキュメンタリー映画
・ランズマン「リアルなもののフィクション(鵜飼・高橋編『『ショアー』の衝撃』70ページ)」 (ある種の「演出」の不可避性、ランズマンとの対話によって引き出される証言)
☞一回性の出来事としての証言を捕捉(高橋哲哉「不可能な証言が一回的な出来事として実現するのを待」つ (同上))
・当時のイスラエル政府からの資金援助を受ける。
・ホロコーストについての映画に対するランズマンのスタンス:「ホロコースト、不可能な表象」(全体は配布コピー参照)
『ショアー』の中には、記録映像は一秒たりとも含まれない。それは私の仕事のやり方、考え方ではないからであり、記録映像なるものが現存しないからでもある。そこで次のような問いが提起される。証言するために新しい形式を発明するのか、それとも再構成するのか、という問いである。私は新しい形式を作り出したと思っている。スピルバーグ(『シンドラーのリスト』)は再構成することを選んだ。ところが再構成するとは、ある仕方で記録映像をでっち上げることである。かりに私が、SSの撮ったあるフィルム[…]を見つけたとしよう。[…]もしもそんなフィルムを見つけたら、私はそれを人に見せないばかりか、破棄してしまうことだろう。なぜそうするのかを言うことは私にはできない。それは自明のことなのだ。

・「個人史」に回収されない証言・歴史(死者たちの代弁、ユダヤ民族に全体として当てはまる構造)

2.ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard, 1930-存命):フランス(スイスとの二重国籍)の映画監督、1950-60年代には、いわゆるヌーヴェル・ヴァーグの旗手として、また映画評論の分野でも活躍。中国の文化大革命(1966年)やフランスでの5月革命(68年)の前後から、政治色の強い映画作品を手掛けるように。

2.1.『映画史』(Histoire(s) du cinéma)1998年公開(1988-98年にかけて制作)
膨大な映画(加えて、絵画、文学、哲学、音楽の歴史)からの抜粋・引用からなるモンタージュにより、「映画の歴史(複数形)」の記述を試みた作品。(オーヴァーラップ、インポーズなどの手法の併用されている。)
【構成】
 1A すべての歴史(Toutes les histoires)1988-98年(51分)
 1B ただ一つの歴史(Une histoire seule)1988-98年(42分)
 2A 映画だけが(Seul le cinema)1994-98年(27分)
 2B 命がけの美(Fatale beauté)1994-98年(29分)
 3A 絶対の貨幣(La monnaie de l'absolu)1995-98年(27分)
 3B 新たな波(Une vague nouvelle)1995-98年(27分)
 4A 宇宙のコントロール(Le contrôle de l'univers)1997-98年(28分)
 4B 徴[しるし]は至る所に(Les signes parmi nous)1988-98年(37分)

・「イメージは復活のときに到来する」(『映画史』1Bで反復される)

キリスト教神学を示唆する言葉やイメージ→ヴァジュマンの誤読へ?(DHはこれを批判)
・「類似」に基づくモンタージュ(c.f.ヴァールブルクのムネモシュネ・アトラス)

3.ホロコーストをいかに映画として表象するか?
今日では、ヨーロッパ・ユダヤ人の虐殺についてのこの憑き物を扱う映画的手法が、少なくともふたつ存在する。クロード・ランズマンは、『ショアー』において、顔、証言、風景それ自体を、未踏の中心へと立ち返らせるモンタージュの一様態を作り上げた。求心的モンタージュ、緩やかさの称揚。それは映画が続く9時間半の時間を掘り下げる一種の通奏低音である。一方でジャン=リュック・ゴダールは、『映画史』において、資料、引用、様々な映画からの抜粋を、かつてない広がりへと吹き散らすモンタージュの一様態を作り上げた。遠心的モンタージュ、速さの称揚。[…]ここで作動しているのはふたつの異なる美学、ふたつのモンタージュの手法である。だがそれは同時に、これらの映画のなかで形作られたイメージと歴史の関係についての、ふたつの倫理でもある。[DH, 162]

ゴダールとランズマンはふたりとも、ショアーがわれわれにイメージとの関係の再考を迫るものだと考えており、この点では両者いずれもまったく正しい。ランズマンはどんなイメージもこの歴史を「語る」ことはできないと考え、だからこそ彼は倦むことなく証人たちの言葉をフィルムに収める。ゴダールのほうは、あらゆるイメージがそれについてしかわれわれに「話さ」なくなったと考え(しかし「それについて話す」というのは、「それを語る」ということではない)、だからこそ彼は倦むことなく、この問題を手がかりとしながら、われわれの視覚文化全体を再訪する。[DH, 162-163]

・ゴダールにおける「モンタージュ」の問題をDHは重視。「差異を際立たせる」、「諸々の言葉とイメージの多重化した衝突[DH, 179]/収容所のイメージに関連して[DH, 184-192]/歴史的現実の「贖い」の可能性[DH, 219]

※映画におけるモンタージュ技法について
・セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898-1948年):『10月』1928年(11月革命のドキュメント)


・クリスチャン・マークレイ『時計(The Clock)』2010年


c.f. ワンシーン長回し:リュミエール兄弟『列車の到着』1895年(最初期の技術)/ヒッチコック『ロープ』1948年/ソクーロフ『エルミタージュ幻想』2002年

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